はじめに
 
 私は、つい最近まで、埼玉県で、高等学校の演劇部の顧問をしていた。この頃は、どうか知らないが、昔は、高校演劇の顧問というのは、悲しいものだった。甲子園を目指す野球部の監督と同じくらいに、夏休みも返上して稽古に明け暮れていても、世間の人にはまったく認知されない。お盆などで親戚が集まって、「学校の先生は、夏休みがあっていいねえ」と言われ、「いや、部活の指導がありますから、毎日学校行ってるんですよ」と答える。「あっ、そりゃあ大変だね。試合があるんだ。で、何教えてるの?野球?サッカー?バスケット?あ、それともバレーボールか?」「・・・・演劇です!」「・・・・・?!」
 
 私も、スポーツ好きだから、たしかに甲子園の高校野球はオモシロイ。高校サッカーの国立競技場もカッコイイ。それに対して、高校演劇をテレビで放映しても、残念ながら、一般人にはほとんど面白くないだろう。だから、世間の人が知らないのもやむを得ないが、ほんとに高校演劇部というのは、そこにいる人間には熱い世界なのだ。高校演劇は、年に一回、全国大会まであるコンクールをやっていて、そこを目指して、毎日、汗と涙と根性の熱いドラマが演じられている。
 
 埼玉県高等学校演劇連盟には、約140校くらいの演劇部が加盟している。それを20〜30校くらいの6ブロックに分けて、9月頃、コンクール地区大会を行う。各ブロックから2校が代表に選ばれて、11月のコンクール県大会に出場する。県大会の優勝校が、1月の関東大会に出場し、関東大会の優勝校が、翌年8月の全国総合文化祭(文化部のインターハイと言われる)演劇部門の出場校となる。
 
 私は、連盟に初加盟した1974(昭和49)年度(31歳)から、その年を最後に顧問を引退した1995(平成7)年度(52歳)までの、22年間の演劇部顧問生活において、「県大会出場17回(内:最優秀1回・第2位3回・第3位3回)・関東大会出場2回・関東優秀校選抜(東京グローブ座出演)1回」の実績をあげることができた。力及ばず念願の全国大会出場は果たせなかったが、部員が常に10名足らずの弱小演劇部を率いて、よく闘ったと満足している。
 
 私の演劇部顧問時代に、部員達に投げかけるキャッチフレーズは「知恵と勇気と根性と!」であった。それを部員達は「汗と涙と根性と!」と受け止めた。私の顧問時代のライバル校は、部員5,60人を擁する大軍団だったから、部員10人足らずで立ち向かう我が弱小劇部には「知恵と勇気と根性と!」しかなかった。いずれにせよ、我が演劇部の合い言葉は「××根性!」だった。これから、ここで「××根性!」の歴史を綴ってみようと思う。もう、二度と高校演劇に関わることはないだろうが、私にとっても、部員達にとっても、あの光り輝く日々が確かにあったのだから。(01/02/25記)