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1972(昭和47)年度
 
 私は、1967(昭和42)年春に、埼玉県にある高等学校の教員になった。大学のサークルで演劇をやっていたので、演劇部の顧問になったが、その頃の勤務校には、体育館には照明設備はおろか暗幕もない、視聴覚教室は狭くてステージはないなど演劇が上演できる環境ではなかったので、教員になって5年ほどは、あまり熱心な顧問ではなかった。大学のサークルで、照明を担当していたので、照明のない舞台は演劇ではないと思っていたところもあった。

 この前の年に、C館という新しい校舎が新築された。その1階に、大教室という182uの部屋があった。普通の教室が70uくらいだから倍以上の大きな教室である。照明を使った演劇の上演できる場所を校内に探していた私は、この教室で演劇を上演することを企画した。とはいっても、暗幕が付いてはいるが、他には演劇上演に必要なものは何もない。HR教室の教壇を借り集めてステージを作った。生徒会部費で、T1というスポットライト4台と、フラットライト4台を買って、ステージの上に太い針金を張って吊るした。理科の先生から、スライダックという、電気の実験に使う変圧器を借りて、ライトを調光した。自分の家から、ステレオセットを持ち込んでオトを出した。こうして、この年の11月の文化祭に、今日にまで至る、「汗と涙と根性と」の演劇教室における演劇部公演の歴史の幕が開かれた。


                     作・小幡欣治「蟻部隊」

 この年の11月、文化祭で 作・小幡欣治「蟻部隊」一幕を上演した。蟻とキリギリスの童話をひっくり返して、蟻は国益至上主義に走る全体主義者達であって、キリギリスは個人の生活や文化を大切にするヒューマニストの設定で、ファシズム批判のいい芝居だった。キリギリスの弾くバイオリンの調べがいい場面を創ったのを覚えている。古いアルバムをひっくり返して、写真を探したのだが、この時の写真だけが、まったく見つからない(誰か、この芝居の写真を持っていたら、貸して下さい。すぐにお返しします)。

<スタッフ>舞台監督:宮崎 明子  製作:松本 典子  装置:浅海 豊・小川 和枝  照明:新井 利治・酒巻 良子  小道具:松本 典子  メーク:小高 淳子・高橋 昭子  効果:新井 利治  衣裳:横手 朗子・新井 淳子

<キャスト>キリギリス:小高 淳子  女王:高橋 昭子  アロハ:小川 和枝  サーベル:浅海 豊  バク太:松本 典子  セイトン:宮崎 明子  コン平:新井 淳子  シンケイ:酒巻 良子

<部員名簿>3年:宮崎 明子(リーダー)・新井 利治(サブリーダー)・松本 典子・横手 朗子
         2年:小高 淳子・浅海 豊・小川 和枝
         1年:新井 淳子・高橋 昭子・酒巻 良子
 
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