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1975(昭和50)年度
 
 この年の春は、作・筑紫 葉子「蜘蛛の玉が虹色に光るとき」という芝居をやったのだが、手元に資料が残っていない。実は、1995(平成7)年度を最後に演劇部の顧問を辞めるときに、それまで丹念にファイルしていた演劇部の記録を大部分、始末した。保存する場所もなかったし、新しい仕事に追いまくられて、演劇部のことはもう忘れようと思っていたところもある。その頃は、パソコンもろくにさわったことなかったから、こういうホームページを作ることなど予想もしていなかった。それでパンフもないし、写真も残っていない。記憶をたぐっても、よく思い出せない。

 戸狩合宿の写真は、残っていた。たしか、職員旅費を使いすぎると校内の批判が高まって翌年は潰されてしまった戸狩合宿の最後の年である。3年生4名とやっと入った1年生5名に、その春卒業した先輩のキリとジュンコが来てくれていた。





             作・服部 次郎 「出発(たびだち)のとき」

 この年の秋は、忘れられない。私の顧問人生最大の痛恨の年である。実は、前年の初加盟初出場の成功に浮かれて、自分で創作台本を書いたのである。女子部員5名をCASTに想定して、女子高校生の友情・愛・裏切り・そして自立への出発、みたいなものを書いた。主人公が引き起こした万引きをめぐって、その仲間達がそれをどうするかを語り合う中に、友情の欺瞞や裏切りが見えて来るという筋立てなのだが、演劇的には成功しなかった。「セリフで、すべてを説明してはいけない」という台本創りの基本的失敗に尽きていた。部員達は、文句も言わずに、真面目に稽古して、一応の形には仕上げて、地区大会に臨んだが、審査員には、こてんぱんに台本のミスを叩かれた。それは、自分でもどうしようもなくわかっていたミスなので、審査員に反発するどころか、自分の非力に傷ついて深く落ち込んでしまった。



作・演出 服部 次郎 「出発(たびだち)のとき」
<STAFF>舞台監督:桑原 京子 記録:松本 陽子   <CAST>良子:磯貝 栄子
        効果:伊得 美智江 衣裳:亀田 美智子           淳子:梅沢 秋子
        メーク:梶田 美香                          圭子:桑原 京子
                                              まゆみ:岩崎 幸子
                                              ひろ子:藤田 久美子

 この1回で、自分には、台本を書く才能はないなと見切りを付けた。私が22年のコンクール生活で、それなりの実績をあげながら、残念ながら全国大会に出るなどの超一流になれなかったのは、台本を書く才能がなかったからである。高校演劇の世界では、自分で台本が書けないと、超一流にはなれない。既成台本で上演しても、どううまく演じても、二番煎じの感は免れないからである。手垢の付いた既製品よりも、創作オリジナル作品の方が価値が高いのはやむを得ない。

 高校演劇では、地区大会の審査員は、連盟が全県の演劇部顧問の内から、演劇に見識を持つ顧問を審査員に委嘱して各地区大会に派遣する。但し、自分の所属する地区の審査員はできない。運動部でも、地区大会のレフリーは、試合当事者校以外の顧問で分担するのと同じである。私も、随分長く地区大会の審査員を務めたが、私は創作台本に厳しい審査員だった。「創作したからって、甘えるな。創作台本だから、多少つまらなくても仕方ないだろうってな甘え方するな。創作だって、芝居としてツマラナイものは、ツマラネエんだよ!」と、半端な創作台本は目の敵にして叩いた。きっと、この年の苦い失敗がトラウマになって、創作台本を目の敵にしたのだと思う。せっかく創作の意欲に燃えた才能の目を潰したかもしれないが、創作台本を書くというのは、そう簡単にできることじゃない。


<部員名簿>

3年:桑原 京子(リーダー)
    梅沢 秋子(サブリーダー)
    岩崎 幸子
    磯貝 栄子

1年: 松本 陽子
    亀田 美智子
    藤田 久美子
    梶田 美香
    伊得 美智江











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