この年の春は、作・町井 陽子「才女ありて」という作品を上演したはずであるが、これもパンフも写真も残っていない。
この年の秋のコンクール地区大会で、3年ぶりに予選を突破して、県大会に出場した。この年から我が演劇部は、14年連続で川越地区の代表になり、県中央大会に出場し続けて、数々の入賞を果たし、川越地区の高校演劇名門校としての名を挙げることとなる。高校演劇における川越地区というところは、伝統校・名門校のひしめく、県内でもっとも演劇部活動の活発な地区である。そこで14年連続で代表になったということは、今にして思えば、凄いことである。県大会連続出場の記録では、我がライバル校の秩父農工高校に次ぐ第2位の記録であろうと思われる。
3年:5名・2年:3名・1年4名と、久しぶりに3学年が揃って、女子のみだが、合計12名になった。が、この年も、初めの内は、そんなに熱心に顧問をしていたわけではない。ほっておいたら、部員達が作・湘南女子高校演劇部「ある群れ」という台本を選んできた。女子鑑別所を舞台にした友情・裏切り・信頼・出発・・・・みたいな芝居だった。3年前の「コモンセンス」も高校生が書いた台本だったが、この台本も高校生が書いたもので、波長が合ったのかもしれない。夏休みに入る頃には、けっこう手応えを感じていた。夏休みの合宿では、熱の入った稽古を積んだ。久しぶりに、芝居の演出に力が入った。
本校の演劇教室で行われた地区大会では、県立坂戸高校が吃驚するような凄い上演をした。彼らは、川越の中学校の演劇部顧問だった水川 裕雄先生に書いて貰った創作劇「日日(にちにち)」を上演したのだが、男子中心の役者群が汗をまき散らせてパワフルに熱演し、客席を圧倒した。それまで無名の県坂が彗星のように強烈に川越地区に登場したのだった。この「日日」の主要メンバーとは、その後長い付き合いになっていくのだが、この時は、せっかくいい出来に仕上がった「ある群れ」も、予想外の「日日」に持って行かれたなとがっかりしていた。
ところで、高校演劇の地区予選(第一次予選)というのは、正確にはブロック予選というべきで、二つの地区を組み合わせて一ブロックとし、一ブロックから2校を代表として選出する。一地区は10校程度で構成されるから、二地区を合わせた約20校から2校を代表に選出する。だから、一地区から1校だけの代表というのではなく、組合わさったもう一つの地区によい芝居がなければ、一地区から2校が代表に選出されるということもあり得る。この年は、大宮地区と川越地区の組み合わせだった。大宮地区も伝統のある地区だから、川越で二つを独占するのは無理だろうと思っていた。ところが、審査結果は、県坂と並んで、本校の「ある群れ」が県大会出場を決めたのである。3年ぶりの県大会出場であった。
作・湘南女子高校演劇部「ある群れ」
<STAFF>演出:松本 陽子 照明:細野 義子・沼田 弘子 メーク:増田 浩子・野口 宣代
<CAST>ひろみ:亀田美智子 幸子:梶田 美香 久美子:藤田久美子
露子:芳賀みゆき 夏子:畑口 初江 おばさん:関根 大子 夕子:田口 澄恵
ウチの部員達は、地区代表に選ばれただけでもビックリという感じで、3年ぶりの県大会を楽しんだ。舞台装置を作るだけのやる気も労働力もなかったので、机と椅子を並べただけの空舞台だったが、鑑別所の雰囲気を出すために、ホリゾントに格子窓の影を写した。社会科の授業に使っていたOHPを利用したのだが、これはナイスなアイデアだと審査員にほめられた。
この年は、川越地区の高校演劇のその後の隆盛の切っ掛けとなる大事件の起きた年である。というのは、県坂の「日日」は、県大会初出場で堂々の第2位に入賞し、埼玉県代表として関東大会に出場することになった。さらに、関東大会では第1位になって、翌年の夏、神戸での全国大会に関東地区代表で出場した。これは、ちょっとショッキングな出来事だった。顧問が躍起になって部員を叱咤して芝居を創っても県大会止まりである本校に対して、ほとんど指導者などいない県坂が、あっと言う間に全国大会に出場してしまったのには衝撃を禁じ得なかった。部活動は、顧問の指導ではなく、生徒の力であることを見せつけられたが、本校では、依然としてアッケラカンとした部員達を相手に、顧問の奮闘の歴史が続くのであった。
<部員名簿>
3年:松本 陽子(リーダー)
梶田 美香
亀田美智子
藤田久美子
芳賀みゆき
2年:畑口 初江
関根 大子
田口 澄恵
1年:野口 宣代
細野 義子
沼田 弘子
増田 浩子
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