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1983(昭和58)年度

 この年の春に、それまでの4回を筑坂の大教室で開いてきた「川越地区春季高校演劇祭」を、県立坂戸文化会館に移して開催した。めいっぱい入れても150名がいいとこの筑坂大教室からキャパ1200名の本格的大ホールに会場を移すことは、川越地区の高校演劇連盟にとっても冒険的な決断であった。しかし、「客を集めてこそのお芝居」の私のかけ声の下、地区顧問・OBスタッフ・各校部員達の意気は上がり、埼玉県西部地区の中学校演劇部員をターゲットとした客集めは成功した。この2年後には出演校も増えて2日間興業になるのだが、開場前から長蛇の列ができるほどの盛況となり、2日間とも満席になるほどの一大イベントに成長したのである。このことはやがて埼玉県の各地区演劇連盟にも影響を与え、春は地区の演劇祭で盛り上がり、秋はコンクールで競い合うという埼玉県高校演劇のスタンダードをつくり出すことになったのである。

<春季公演・川越地区春季高校演劇祭上演>

作:横内 謙介
国坂版・熱海殺人事件
<CAST> 杉山薫:飯島 淳  小川大二郎:渡辺奈穂美  横山健一:鳴海 奈々
          少女:小林 佳子  リーダー:山崎美津子  暴走族A:竹内 雅美
          暴走族B:徳森 義和  その他:大鶴 勝也・百木田 薫・志水佐千子・中村みゆき

<STAFF> 演出:大鶴 勝也  舞台監督:桜田 孝  振付:志水佐千子・中村みゆき
         照明:松岡 洋和  音響:萩原 豪経  合宿:百木田 薫・中村みゆき

<協力> シアター・ジャック



<アトリエ公演>
情報・笑うな・ストリップ
 たぶん6月頃に、シアター・ジャックと合同で、アトリエ公演をやった。紙の記録が残っていないので、写真のみ掲載する。
 幕間に歌謡ショーをやった。タカシの「みちのく一人旅」は絶品だった。ヒロカズとミルキーのデュエットもカッコよかった。この頃、梅沢富美男なんかも流行っていて、大衆演劇の手法なんかの影響もあった。従来の高校演劇の枠をはみだそうとしていた。



 昨年のコンクール作品「戸惑いの午后の惨事」は、私としては大成功だったが、県大会では入賞もできなかった。高校演劇のコンクールでは、一般的に創作劇信仰が強い。すでに大人が上演した既成脚本を高校生が上演してもオリジナルを乗り越えることは難しい。初上演の創作劇の方が審査員の評価が高いのも当然といえば当然である。それはわかっていても、だれでも芝居が書けるわけではない。私は、過去に苦い失敗がある。私が書けないとなれば、だれかに創作脚本を依頼するしかない。実は、少し前から考えていて、昨年、カツミの引退公演に脚本を書いていただいた水川裕雄先生にコンクール作品の脚本を依頼した。水川先生は、前年のページでも紹介したように、すでに高校演劇に実績のある脚本家である。

*文化祭公演パンフレットより転載

 「作者紹介」1941年生れ。現川越市立高階中学校教諭。同校で演劇部指導のかたわら東上沿線各地の高校演劇部に進んだ教え子たちに乞われて多数の作品を高校演劇に提供している。1977年度高校演劇コンクールで県大会・関東大会で最優秀となり、1978年神戸市での全国大会に出場した県立坂戸高校演劇部上演の「日日(にちにち)」の作者でもある。

 最近は「荒れる中学生」を向こうに回しての生徒指導に活躍されており、今年、本校顧問の強引な依頼で書下して下さった本作品にもその辺の事情をうかがい知ることができる。

 ところでそんなわけで暴走族のオトモダチが多いせいか、中年の落ち着きをただよわせなければならない年代にもかかわらず、近年最も心をトキメかせていることが、ナント教師にあるまじきことに高校生には御禁制のバイクをブットバスことだそうで、革ジャン、ジーパン、ブーツに白ヘルとバッチリきめて、銀色の本格的な大型バイクにうちまたがり、深夜の高速をひた走つて「海を見に行く」そうで、ナカナカ、ハンパなオジサン先生ではなく、片や人間ドックで胃カメラのまされて、よるトシナミにおびえている二年後輩の本校顧問は、もらった台本の難解さにウロたえながら、「ムムッ、オヌシ、ナカナカヤルナ!」と強がっている。

 本来作者は「ことば」を大切にし、セリフを一つ一つたんねんに積み重ねながら緊張感のあるシーンを生み出していくタイプの作家であり、片やスピードとパワーのダイナミックな視覚的構成を演出の身上とする本校顧問とは完成稿までにかなりの確執があり、結局ワガママな後輩の一方的な要求を、黙って聞いてくれて何度も書き直して下さった。もし本作品に作者本来の持味が損なわれているようなことがあれば、それはひとえに本校顧問のワガママの責任である。

<コンクール参加作品>

作・竹内銃一郎「戸惑いの午后の惨事」

<CAST> 男1:大鶴 勝也  男2:桜田  孝
        女1:百木田 薫  女2:中村みゆき  女3:鳴海 奈々
        女4:飯島  淳  女5:小林 佳子

<STAFF> 演出:服部 次郎  舞台監督:萩原 豪経  美術:松岡 洋和
         照明:竹内 雅美  音響:渡辺奈穂美  合宿:志水佐千子・山崎美津子
         装置:平川 晶子・三田 慶子・竹内 一郎

<協力> シアター・ジャック

*地区大会用パンフレットより転載

「近況報告」
△恒例炎熱マラソン、計30日・一日平均5km、益々過激に走り切りました。今年の夏の何と熱かったことか、病弱のカオル先輩はコース途中の工場のオトイレにカケ込みながら走り切った日もありました。顧問は、今年もタカシとカツヤは完ペキに押さえましたが、ナント、昨年は楽勝だったジュンに軽くあしらわれました。4回の公式記録会の結果、総合優勝:飯島 淳、準優勝:服部 次郎、3位:松岡 洋和でした。

△見えない重い箱を運ぶ4人組のために、セリフ通りの「たて95cm、横73cm、高さ1m15cm」の練習用具を作りました。それに砂袋を入れて93kgの重さにして4人組に持たせました。あまりの重さに悲鳴をあげ、腰は痛いわ、腕は伸びるわ、手にたこができるわ、「アタヒたちは野球部かっツーノ!」と、みるき先輩は叫びました。重さのイメージが身体にしみつくまで持たされ続けた4人組は合宿の夜、恨みを込めてかの用具をファイヤーストームの火に放りこみました。

△「枯葉がはらはらと散って」というト書きが6ケ所あります。スノコのない舞台で音もなく枯葉を舞わせるための道具を作るために、顧問は3作も失敗を繰り返し、ついに作者に憎悪と殺意をおぼえて「そんなことデキルケエー!」と3作目を放り投げたところ、それを拾ったヒロクンが改良して、ついに枯葉が音もなく散ったのでした。以来、顧問は「ヒロクンは舞台装置の天才です」と日に三度言わされることになりました。

△カオル先輩が劇中で生けるお花は本校華道部直伝の「真派松月古流」という由緒正しいものです。ところがカオル先輩は習いに行ってお花の先生に正しい生け方を説明されると「それでは私が目立たないから、これでいいです。」と言ってヒンシュクされました。さすが花より美しいカオル先輩です。

△昨年はビートルズ。今年はエルビス・プレスリー。60年代青春まっ盛りのオジサンは、2年続きで60年代スーパースターを起用しました。ちなみに、ラストの曲は「マイ・ボーイ」という歌で、妻との愛が失われた家を出て行く父親が、お前だけを愛していると残していく息子に呼びかけるという内容のプレスリー円熟期の熱唱です。

△今年、胃カメラはのむわゼンソクのセキは出るわおまけに右肩までブッコワれて伝統の演出スリッパを投げられなくなった顧問は、新たにアルマイトの灰皿投げを開発した。これだとフリスビーの要領で手首だけで投げられるので、ちょっとでもセリフをつかえたりするとヒュンと灰皿が飛ぶのだが、これがまつたくコントロールがなくて、たいていほとんどがカツヤのトチリなのに、灰皿が当たるのはたいてい無実の少女ナナで、抗議する少女ナナに「ウルセー、舞台は連帯責任ジャー!」と無茶苦茶ワガママ顧問は叫ぶのでした。

△伝統を誇る我が劇部も、どうしたことか今年は春から一年生部員が一人も入部せず、秋風の吹く苦しい台所です。引退した部員まで動員してもまだ裏方が足りずに、ついに3名の部外の方に手伝っていただくことになりました。まったく目立たない本当の裏方なのに、いなくては芝居ができず、平川さん、三田さん、竹内君には部員一同ほんとに感謝しています。

△「でも、、、」「しかし、、、」「だから、、、」という、おそらく芝居のセリフでこれほど難しいものはないだろうという短いセリフがゴロゴロあって、ただでさえあまりモノを考えないカツヤはまったくお手上げでした。「芝居はスピードとパワーじゃイ!」とイキがるだけの顧問は、セリフをたんねんに仕上げるというシンキクサイ作業はとても苦手で、そこで「セリフの職人と異名を取る」と自称する小峯先輩が、ていねいにカツヤを指導してくれました。それから、「お前のおかげで、台本書かされるハメになったんだ!」と水川先生に責められているカツミ先輩、試験中なのに無理を言ってカオルの着付けをしてもらいました。その他合宿にはたくさんの先輩が来てくれました。先輩たち、ほんとにありがとう、感謝しています。
△やり残したことはありません。さあ、本番、イツテミヨーカ!
開幕 闇の中でデモの怒号と喧噪が流れ、かつての政治闘争の季節を思わせる。デモの音が遠ざかる中でゆっくりと明かりが入り、男1と女1が浮かび上がる。あの頃、闘って傷ついた男と女のようである。
 傷つき挫折した男1と女1は、今はめくるめく恍惚のあの季節を追憶する毎日である。
 そこへ男2が飛び込んでくる。男2は、彼らの息子のようである。
 男2は、虚しく過ぎる怠惰な日々の鬱屈を爆発させる。いわゆる家庭内暴力のようである。
 そこに「見えない重い箱」を運ぶ4人の女達が助け合いそしていがみ合いながら入ってくる。重い荷を負いながら懸命に社会に生きる人々のイメージである。
 4人組と家族のセリフが絡み合っていく。
ラストシーン  男2に凶暴な殺意が芽生え、4人組を次々に殺害していく。理由なき無差別殺人。これって、今にして思えば、秋葉原無差別殺人みたいなもの。水川先生って凄いな、20年以上も前に、こういうシーンを描いていたわけだ、ビックリ!
閉幕  大音響と共に、部屋の壁が崩れ落ち、枯葉が吹き上げ、バックサス(目つぶし)が来て、それはそれは壮絶な幕切れとなる。当時、小劇場(アングラ)の見せ所だった「屋台崩し」を高校演劇に取り入れた野心的な演出であった。
 文化祭公演では、壮絶なラストシーンの直後に、国坂らしいチャラチャラしたカーテンコールをした。ギャップが国坂らしいよね。
 音響の鬼ナオミ、オトに命を懸けていた。  照明コンビのマサミとミツコ。
 舞監のハギワラと美術のヒロカズは、舞台が終わる度にセットの修理と枯葉の掃除に大忙し。スタッフの働きがいのある芝居だった。



 別役風の短いセリフが止めどなく続く抽象劇で、ストーリー展開で見せる芝居ではない。どちらかといえば私には不得意なタイプの芝居である。セリフを一つ一つ丹念に仕上げていく演出は得意ではなくて、前半のセリフの稽古はあまり気が乗らなかった。だから、ラスト10分くらいからの殺害シーンから屋台崩しのラストまでの演出には力が入った。

 屋台崩しは、ちょっと前に見た蜷川幸雄の演出からヒントを得たもので、背景の4枚のパネルを斜めに切って、それと下手の袖にあるタンスが斜めに切ってあるのだが、きっかけでスタッフが切り落とすのだが、一つ間違えば、役者の上に落ちて大怪我をさせかねないので、この練習は緊張感に満ちたものだった。お客の反応も前半はなんだかよくわからないセリフの連続で退屈しきっているが、ラスト10分のダイナミックなシーンでビックリして感動して、それだけが印象に残って「すごかったーーー、よかったあ〜〜〜」という感じだった。

 この芝居で我が国坂は、念願の県大会初優勝を果たすのであるが、それは水川先生の創作台本のおかげで、そのことは水川先生に深く感謝をしているのだが、実を言うと、この芝居にのめり込んで自信満々で県大会に臨んだわけではなかった。実のところ、これで優勝ができるとは思っていなかった。自分の演出史では「楽屋」や「戸惑い」の方が上であった。これ以後も、「シンデレラ」や「夏の思い出」など、「されど今」よりうまくできたと思う芝居が優勝できないということが続く。皮肉なものである。それほど高校演劇の審査というものは難しい。




*文化祭公演パンフレットより転載

「県大会に初優勝して」
△思えば長い年月でした。因襲的高校演劇界で常に前衛を疾駆した「国坂芝居」は、その荒々しいまでの華美さのゆえに受け容れられず、幾多の華麗な舞台が無惨に散っていきました。

△つい最近のことですが、本校とともに先鋭的な舞台で県高校演劇界を革新してきた同志の秩父農工高顧問の若林先生が、「1980年の県大会では、筑波大坂戸の「楽屋」が勝っていた。優勝した私達は筑波に申し訳けなく思いながら関東大会に出場した。」と率直に語ってくれました。その時の我が劇部の惨状は、その年の生徒会誌「ならんぼ」に寄稿させていただいた通り激怒と悔し涙の絶頂でした。私達は、4年前に関東大会に出場しているべきであったと若林先生の言を待つまでもなく確信してきました。

△昨年の「戸惑い」も「楽屋」に劣らない絶対の自信作でしたが、やはり新し過ぎて予想通りダメでした。が、もう私も部員連もメソメソ泣いたりはしませんでした。「おれ達の芝居は高校生にわかってもらえばいいんだ。」という開き直りが私達を強くしていました。

△そして今年、本当に私も部員達もフッ切れたように清々しかったのです。「賞のことなんか考えずに国坂芝居を見せてやろうゼ!」と県大会を楽しんでいました。審査結果の発表ではホントにビックリしたのです。第3位浦和市立(やっぱり、)第2位(ひょっとしたら、イヤどうせダメさ、)秩父農工、(エッ、ウッソオー、、、、、、もしかしたら、イヤそんなことはない、どうせまたタコな芝居を優勝させるんだ、、、、、、、)第1位ツクバダイガクフゾク、、、、、、(エッー、ギャー、ナンダトォー、、、、、、ヤッター、、、、、、、)

△私達は今までさんざん裏切られて「怨念」の国坂ですから、そんなタコな賞なんて欲しくないよと斜に構えていようぜと、ふだん言っていたのですが、そんなことすっかり忘れて、ハシタなくも座席から飛び上って喜こんじゃって、特にオジンくさくてクールのはずのタカシがガッツポーズまでしちゃって身体いっばい喜こんじゃって、、、、、、まあイイサ、県130の加盟校のトップに立ったんだ。カッコなんかつけてられるかってんだ、ウレシイヨー!

△優勝のトロフィーを涙一つ見せずニコヤカに受けとるバカにタノもしい我が部員達を見上げながら、悔し涙で卒業していった多くの先輩達のことを思っていました。先輩達、君たちの涙は決して無駄ではありませんでした。君たちの流した涙が、今ここに「国坂芝居」を認知させ、優勝のトロフィーを後輩達に渡したのだと思っています。

△1月19・20日、関東大会に初めて出場します。しかし、先日、若林先生から忠告をいただきました。「関東大会だからといって幻想を持たない方がいいですよ。」と。関東大会で三度も優勝して全国大会に出場している若林先生ですら高校演劇の審査には疑問を感じていることを知って、むしろとてもうれしくなりました。県大会の時のように、つまらぬイロケを持たずに関東大会でも楽しんで思い切り「国坂芝居」を見せてやろうと思います。
 9回目の挑戦で県大会初優勝のメンバー。トロフィーを飾って大満足の面々。



 関東大会に出場することになって、パワーアップを図らなければならない。開幕シーンに機動隊の盾を並べてドライアイスの霧を流すとか、ヒロカズにセットの絵を描き直させるとかスタッフ面ではアイデアはあったのだが、肝心のセリフをいかに立てていくかという点では、自分の演出力の限界を感じていた私は、周りの誰もがあっと驚く奇策を実行した。

 部員達には「打倒!農工。打倒!若林」と言って敵愾心を煽っていたが、私は農工の若林先生を埼玉高校演劇の若きリーダーとして高く評価していた。別役劇をあれほど緻密に演出できる若林先生の力に敬意を持っていた。それまで、ほとんど会場で会っても挨拶もしたことがなかった若林先生に、長い手紙を書いた。そして頼んだ。「ウチの芝居を直してくれませんか」と。若林先生は快く引き受けてくださり、12月も押し迫った頃の一日、我が大教室に来てくださった。

 初めの内は敵の大将に教えを受けることを潔しとせず、そっぽを向いていた我が部員達も、いざ若林先生の指導が始まると、たちまちの内に若林ワールドに引き込まれていき、生き生きと動かされていったのであった。部員達も私も、その日、若林先生から随分と刺激を受けて、関東大会への新しい意欲を持つことができた。それ以来、若林先生や農工は敵ではなくなり、よきライバルとして、交流を活発にしていくことになる。


<第20回関東高等学校演劇コンクール出場>

作・水川 裕雄 「公園」
1985.1.19〜20   宇都宮市文化会館小ホール
開幕  関東大会バージョンでは、デモの喧噪の中に機動隊のジェラルミン盾が浮かび上がり、ドライアイスの霧が流れた。ジェラルミンの盾は、ベニヤを凧をしならせる要領で曲面を作った。顧問の傑作の一つである。この当時は、スモークマシンがなくて、顧問がドライアイスマシンを自作した。ドライアイスの調達がやっかいで、お湯を沸かすのに農業科から畜産用の電熱器を借りて、霧を流すのはなかなか手間のかかる作業だった。
 背景パネルの絵は、ヒロカズ画伯によって全面的に描き替えられた。前のセットでは家の中に4人組の通る青い台の通路があり違和感があったが、この描き替えによって舞台前面の家庭の部分と舞台奥面の抽象化された空間との区別がなされた。青い台が無限の宇宙に飛び散っていく壮大な絵は、これ自体で優れた美術作品であり、まことにヒロカズ画伯の天才的構想力に舌を巻いたものである。「先生、やべーよー、機械科目が欠点だよぉ〜〜〜」と泣きながら徹夜で筆を振るっていたヒロカズ画伯であった。
 今にして思えば、この当時は舞台面に黒のパンチカーペットを敷き詰める智恵がなくて、舞台の直板にむしろを引いただけの舞台前面であり、舞台奥の壮大な抽象世界に対して、全面の現実世界が貧弱になってしまったことは否めない。今の智恵なら舞台前面をもっとリアルにするための工夫ができたであろう。
 関東大会では、入賞はできなかった。あとで関係者から聞いたところでは、入賞候補にはなっていて、もう一歩のところだったそうである。まあ、その一歩というところが難しいわけで、今となれば、冷静に分析できるが、当時はとても納得できる審査ではなかった。
 18日の朝、大教室から道具類をトラックに積み込んで、宇都宮に出発した。
 夕食後、旅館の部屋で通しをやった。  20日(2日目)の2本目の上演で、楽屋が使える時間が少ないので、旅館でメークをしてホールに行った。なにしろ我が校はメーク時間がやたら長い。



<部員名簿> 3年:大鶴 勝也(リーダー)・百木田 薫(サブ・リーダー)・桜田 孝・中村みゆき
             ・志水佐千子・萩原 豪経
          2年:松岡 洋和・飯島 淳・小林 佳子・鳴海 奈々・渡辺奈穂美・竹内 雅美
             ・山崎美津子
          1年:


(UP:2008.9.8)


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